例えば、ここに芸人のキンタローがいるとしよう。
僕はキンタローは整った顔をしていると思う。
では、ここで質問。
「もしキンタローが整形手術をしたとして、
桐谷美玲のそっくりさんになれるだろうか?」
僕は整形手術について知る前
整形手術は魔法のようなものだと思っていた。
キンタローが整形手術にすさまじい額のお金を
つぎ込み、世界最高の医師に施術してもらえば
桐谷美玲そっくりの顔になれると思っていたのである。
だが、それは誤りだった。
整形手術は魔法ではない。
キンタローと桐谷美玲とではそもそも
頭の大きさが全く異なる。
僕は輪郭整形手術を行い、
顔の骨や筋肉を切除したが
それでも限界というものがある。
残念ながら、整形手術後の顔の良し悪しを決めるものは
やはり生まれつきの顔なのだ。
ちなみに「キンタローが整形手術をしても
桐谷美玲そっくりになれない」件についてだが
その理由は骨格だけにあるわけではない。
人の顔は面白いもので
顔のパーツが良かったとしても、
そのパーツが絶妙な位置関係に
配置されなければ美しくは感じられない。
整形手術を何度も行ったが
生まれながらの美人やイケメンとは
天と地ほどの差がある、という
厳然たる事実を突きつけられることは
良くあるように思う。
では、不細工は整形手術をしても無駄なのだろうか?
諦めて生きていくしかないのだろうか?
そんなことはない。
そもそも「不細工」と一言でいっても
その原因は人それぞれである。
他のパーツや配置は良いのに1箇所だけ
パーツが異常におかしいような場合だと
その1箇所を整形するだけで
劇的に顔が変化することもある。
なんとなく全体的におかしい場合は
適切な順番で適切な手術を行っていくことで
「ある程度まともな顔になる」ことは十分可能なのだ。
そうそう、ネットの掲示板の書き込みを読んでいると
たまにこんなことが書かれているのを目にする。
「整形手術なんてするべきじゃなかった。
人間はもともと持っている生まれつきの顔が
一番整っているのだから、それを自分から崩すような
ことはしてはならなかったんだ」
このような書き込みをしている人に僕は聞いてみたい。
「生まれつきの顔が一番整っているのであるなら
僕の顔が生まれつき酷いのは
どう説明すればいいのでしょうか??」
「そんな僕が整形手術をすると
もっと酷いことになるってことですか??」
僕が思うに、生まれ持った顔が美形である場合
「より一層の美形」になるために整形手術を行うことは
リスクが大きい気がする(手術部位にもよるが)
もちろん整形手術により、
美人がさらに美人になった例も多くあるが
思うような結果が得られず、失敗した例も
多くあるように思われる。
(その理由は上に書いた内容を
読んでもらえればわかるだろう)
さて、次回の日記では「古畑任三郎」の名言をもとに
整形手術について考えていきたいと思う。