「整形なんてしたら親が悲しむ」
「親からもらった体に傷をつけていいのか」
「人間にとって本当に大事なのは
外見ではなく内面である」
「内面をしっかりと磨けば、
外見のハンデなんてどうとでもなる」
「整形手術をしようと思った時点で負け組確定」
「整形手術をしようとする人間が何を考えているのか
全く理解できない」
おそらく、このようなことを平気で口走ってしまう
人間は「普通以上」の容姿を持っているのだろう。
念のために書いておくが、ここで言う「普通以上」
というのは「平均以上」という意味では決してない。
「普通」というのは人間の容姿として違和感を
感じないレベル、すなわち日常生活に支障がない
レベルを意味する。
上記の発言をしてしまう人は
「普通未満」の容姿を持つ人間が
存在することに気づいていないのだろうか?
もしくは気づいてはいるが、自分中心に
物事を考えているために、他人に対して
自身の経験が絶対的に正しいと
“浅はかにも”思ってしまっているのだろうか?
「普通未満」の容姿を持つ者にとって、
現在の日本で人並みの生活を送ることは
不可能ではないが難しいと言える。
整形手術を絶対的に否定する方は、
このような人間が虐げられ続けることを受け入れ
それでも何とかして生きていくべきだと
主張していることになる。
それはあまりにも酷ではないだろうか?
誰もこんな容姿で生まれたかったわけではない。
僕は「イケメン」に生まれたかったなんて言わない。
でも他の人が僕を見たときにせめて
「不快に感じない」ような顔に
生まれたかっただけなんだ。